私は最近まで、労災保険について大きな勘違いをしていた。
労災というのは、建設現場で高所から転落したり、工場で機械に巻き込まれたり、感電して死亡したりするような重大事故に使う制度だと思っていた。
労災に該当するかどうかは、症状が重いか軽いかではなく、その負傷や病気が仕事や通勤によって生じたものかどうかで判断される。
仕事中に転倒した、作業で腰を痛めた、職場のストレスで精神疾患を発症したといった場合も、業務との因果関係が認められれば労災の対象になり得る。
仕事による病気やケガには健康保険は使えない
健康保険法第1条 では、 健康保険が対象とするのは「業務災害以外」の病気やケガなどと定められている。
- 日常生活や加齢での病気やケガには健康保険
- 仕事や通勤が原因の病気やケガには労災保険
という使い分けになる。
病院に行くと、反射的に健康保険を出してしまう。病院の窓口自体が健康保険だけしか使えませんよ的な雰囲気がある。
しかし、仕事が原因である可能性がある場合、本来使うべきなのは労災保険である。
会社への配慮として健康保険を使うことは、穏便な処理ではない。本来対象外の健康保険に医療費を負担させる、不適切な処理である。
誤って健康保険を使った場合には、健康保険側が負担した医療費を精算し、改めて労災保険へ請求する必要が生じることもある。
私も労災認定されたが、労働基準監督署に相談する前は労災に当たるとは脳裏に1mmもなかった。
労基の担当者に「労災になる可能性があります」と言われて驚いた。
8月から受診し、11月中旬までは健康保険を使っていたが、12月に労災を申請したところ、時間はかかったが労災認定された。
よって11月までの医療費は健保組合に報告して返金する。一時的に全額自己負担となる。
その後、病院に様式7号という書類の証明を依頼し、労基署に送付する。
労災保険は給与明細に現れない
労災保険料は、原則として全額を会社が負担する。
健康保険料や厚生年金保険料、雇用保険料のように給料から控除されないため、通常は給与明細にも労災保険料という項目がない。
保険証が発行されるわけでもない。
そのため、自分が労災保険の対象なのかさえ分かっていない労働者も多いのではないだろうか。
しかし、労働者を一人でも雇用する事業は、原則として労災保険の適用対象となる。正社員だけでなく、パートやアルバイト、更には業務に関係のある作業を行っているインターン生も対象になる。
仮に会社が加入手続を怠っていたとしても、それは会社側の問題であり、被災した労働者が労災保険給付を請求できなくなるわけではない。
労災を申請するのは会社ではなく労働者
私が最も驚いたのは、労災保険給付を請求する主体である。
労災が発生した場合、会社が労災と認め、人事や総務が申請するものだと思っていた。
実際には、原則として請求するのは被災した労働者本人である。
参照:
「療養(補償)等給付の請求手続」パンフレット, 労働基準局 補償課
労働者が請求書を提出し、労働基準監督署が調査したうえで、労災に該当するかを判断する。
会社は、事業所の情報や賃金、災害の発生状況などを証明し、手続に協力する立場である。
労災かどうかを最終的に決めるのは会社ではない。
会社が「これは労災ではない」と主張したり、事業主証明を拒否したりしても、労働者は労働基準監督署に相談し、請求書を提出できる。
労災請求は会社への宣戦布告ではない
労災を使うことについて、
- 会社を敵に回すことになる
- 会社に迷惑をかける
- 労災申請は会社への宣戦布告だ
と考える労働者や経営者がいる。
これは大きな間違いである。
例えば、歩行中に自動車にはねられて負傷した人が、治療費や休業による損害について自賠責保険へ請求したとしても、それを運転者に対する宣戦布告とは呼ばない。
※自賠責保険は傷害のMAXは120万なので、任意保険は絶対に入ってください。。
被害者は、交通事故によって負傷したから、被害者救済のために法律で設けられた保険制度を利用しているだけである。
- 自賠責保険を使うと運転者に迷惑がかかるから、健康保険と自費だけで治療しよう
- 保険を請求すると相手を責めていることになるから、仕事を休んだ分の補償も諦めよう
と考える人は、通常ほとんどいないだろう。
労災保険給付の請求は、会社に慰謝料や損害賠償を求める行為ではない。国が運営する労災保険制度に対して、法律に基づく保険給付を求める手続である。
なぜなら健康保険は業務中の傷病では使ってはならないから。
通常の労災保険給付では、会社の故意や過失を労働者が立証しなければ利用できない、という仕組みではない。
会社に安全配慮義務違反があったとして損害賠償を請求することと、労災保険から治療費や休業補償を受けることは、法律上も別の問題である。
仕事による病気やケガという保険内で適用される事故が起きたため、本来用意されている保険を使っているだけである。
それを「会社への宣戦布告」と捉えること自体が、労災保険を特別な告発制度のように誤解しているのである。
労災を使うと会社の保険料が上がるのか
一定の規模や条件を満たす事業では、過去の労災発生状況によって、後の年度の労災保険料率が増減する制度がある。
そのため、労災が発生すると会社の保険料が上がる可能性はある。
しかし、すべての会社に適用されるわけではなく、一件の労災申請をした瞬間に保険料が上がるわけでもない。
そもそも、保険料への影響を理由に、労働者へ正当な給付を請求させないことは許されない。
労災保険は、事故や病気が起きても使わないための制度ではない。
仕事で被害を受けた労働者を補償し、労働災害が多い職場には安全対策を促すための制度である。
あんしん財団事件
2024年と比較的最近、最高裁判決で出た興味深い事例がある。
従業員側が労災認定されたことに対して、財団が「保険料が上がるのがイヤだから労災の取り下げを要求した」事例である。
色々あって、最高裁まで行き、判決としては
「財団側は労災保険料が上がるのが嫌だったら、労災取り下げではなく、メリット制に対して異議を唱えればいいのでは?」 というものがあったらしい。
つまり、一度労災認定されたモノを覆すのは非常に困難であることが証明された。
詳しくはYoutube等にたくさん情報があるので調べてみるのも面白い。
書類を完璧に書けなくても請求できる
労災の請求書を見ると、難しそうな項目が並んでいる。
会社の労働保険番号、平均賃金、会社の証明など、労働者だけでは申請が難しいと感じてしまう。
私も、すべての項目を正確に埋めなければ提出できないと思っていた。
しかし実際には、自分で記入できる部分を書き、分からないところは労働基準監督署に相談すればよい。
その結果「わからないところは空白でいいですよ」とアドバイス頂いた。
私の場合、給与計算にも特定の手当を完全に忘れるという誤りがあった。しかし、労働基準監督署が会社から給与明細などを取り寄せたようで、最終的には正確な金額に修正されていた。
労働基準監督署が何もかも自動的に処理してくれるわけではない。経緯を説明し、証拠を提出する必要はある。
それでも、
- 会社が証明欄を書いてくれないから申請できない
- 会社の労災保険番号がわからないから諦める 必要はない。
分からないことは相談すればよいのである。
私が初めて労基に行った感想としては、「かなり敷居の低いところ」という印象があった。
個室ブースで監督官や労災担当の方と1対1で相談できたり、個室ブースでなくても、賃金に関する質問をしている経営者っぽい風格の方が相談していた。
学校でも会社でも教えられない
これほど重要な制度なのに、労働者として育成するのが目的のように思える義務教育でも具体的な使い方を習わない。
入社時にも、
- 仕事中の病気やケガに健康保険を使ってはいけない
- 労災保険は労働者本人が請求できる
- 会社が認めなくても労基署へ相談できる
といった説明は私の居たところは無かった。(ある会社があればすごいと思います)
入社時に説明される保険といえば、グループ会社の保険会社が販売している生命保険や医療保険くらいである。
任意加入の民間保険は勧められるのに、仕事で病気やケガをしたときに利用する公的保険については説明されない。
労災保険は給与明細にも現れず、学校でも教えられず、会社からも説明されない。
制度は存在するのに、労働者から見えにくい状態になっている。
まずは健康保険法第1条を読んでほしい
労災申請をする労働者に対して、
- 大ごとにするな
- 会社を敵に回すのか
- 健康保険で済ませればよい
と言う人がいる。
その前に、健康保険法第1条だけでも読んでほしい。

健康保険は、業務災害以外の病気やケガを対象とする制度である。
もちろん、労働者が労働時間中に自ら進んで怪我をした場合などは厳格な審査によって弾かれる場合もあるとは思うが、滑って転んで骨を折ったという症例でも労災になった人を知っている。(その人は市区町村管轄の職場なので事業所から働きかけてくれるのであろう)
労災保険を利用することは、会社への宣戦布告ではない。
仕事によって病気やケガをした労働者が、本来利用すべき制度を利用しているだけだ。
義務教育で教えるべきなのは、「労働者には権利がある」云々という抽象的な話だけではない。
- 仕事で病気やケガをしたら健康保険ではなく労災保険を使う
- 労災は会社ではなく労働者本人が請求する
- 会社が協力しなくても、労働基準監督署に申請可能
最低限この3つは働き始める前に教えるべきではないだろうか。
ということを大学の研究室の先生と話す機会があり、議論した。